div class="module-calendar module">

2012年3月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

メイン | 2007年7月 »

2007年6月 アーカイブ

2007年6月 3日

さあ、今年もマン島へ!

このブログに辿り着いてくださった方々。
まずはありがとうございます。

僕、伊丹はオートバイ雑誌『Clubman(クラブマン)』
編集に4年ほど携わってきましたがつい先日、退職。
今は何をしているかと言えば、おもに主夫……ですね。
毎朝、娘を保育園に送り、帰ってきてからコーヒーを飲みつつ、新聞を読む。
それが一段落したら、洗濯して、掃除して、
そうこうしているうちに「おっと、もうこんな時間か」
と思いつつ昼ゴハンを簡単に作って、食べる。
午後は本を読んだり、買い物に行ったり、再放送のドラマを見たり。
そんなこんなで「おおっとぉ!もうこんな時間かよ」と驚きつつ、保育園に娘を迎えに行く。
……このところはこんな日々です。正直、主夫生活とても楽しいのです。

そんな風なので、今後の予定はまったく未定な
“毎日シエスタ”な僕ですが決まっていることがあります。

その1・今年もマン島TTレースを見に行くこと
その2・来年のマン島TTレース参戦に向けて動き出すこと
の2つです。

というわけで、ここはそんな僕、伊丹と僚友たる松下が、
いかにしてマン島TT参戦を目指すのか!?
を克明に伝えるノンフィクションドキュメンタリーブログになる予定です。

マン島TTレースは、今年で100周年。
それがどんなレースで、なにゆえレースに出たい! などと思い立ったか。
そのあたりは、ここであらためて語らせて頂きます。今年の目的は情報収集と視察ですね。
それでは、今後も当ブログをご贔屓に。
なにはともあれ、明日からマン島へ行ってきます!

2007年6月22日

帰国しました!

10日間のマン島&ロンドン滞在を終え、先日帰国しました。
今年も島にいる間はそのほとんどが快晴に恵まれ、毎日がバカンス&レース&イベント日和になり、つくづくマン島との相性がいい自分にブラボー!

さて、そんなマン島TTレースは前回お伝えした通り今年でなんと開催100周年。つまり、第一回TTレースは1907年に開催されたということです。この1907年というは日露戦争の2年後であり、西太后が亡くなる前年であり、淡谷のり子さんが生まれた年。日本では明治40年を迎えた年ですね。いやはや、なんともよく積み重ねられてきたものです。
確かに、「100周年だぜ、イヤッホーイ!」的な盛り上がりもあったのですが、人が例年よりも多く、土産物がそこかしこで売り切れている以外はそれほど浮ついた感じはなく、100年という記念すべき年もマン島にとってはひとつの通過点に過ぎず、まだまだこれからもマン島TTレースは続いていくんだろうなぁ、と感じました。

バイクの魅力に目覚め、公道を走り始めたライダーにとって、マン島とTTレースのスタイルは原点でもあり、ある種の究極でもあると思います。

ひとまず、帰国報告まで。

2007年6月23日

まずは体の準備

マン島TT レースに出る!

と意気込みだけでは事が前へ進みません。もちろん誰でも出場できるわけではなく、参戦資格を得るための最低条件がいくつかあります。その代表的なものがライダーのレース参戦経歴。具体的には、エントリーの締切前の1年以内に6戦のレース出場と完走が求められます。
選手権から引退して早や12年以上。この数年は雑誌の企画レースで年に1回か2回程度のレースをこなすだけだったため、個人的にかなりのハードルです。つまり、これから車両を用意し、練習して、かつてのように走れるスキルを取り戻した上で来年の年明け早々までをリミットに6戦をこなさなくてはならない、ということ。

ちなみに微妙なのがレースの格式。全日本クラスでなくてはならないのか?国内の地方選手権でもいいのか?イベント的サンデーレースもアリなのか?MFJ公認レースである必要があるのか?公認レースだったらミニバイクでもいいのか?……などなど、実はそのあたりの明確な規定はありません。実際のところ、できるだけレース数をこなして、できるだけ好成績を得て、エントリーを提出してみて、TTレース事務局の判断を待つことになるようです。

用意する車両は現在検討に入っているのでまたあらためて報告します。

で、今日の本題はタイトル通り体の準備。サーキット感を取り戻すべく、編集時代にいつもお世話になっていたクラフトの滝本さんの誘いを受け、BMW・F800Sで練習走行です。まずは、この車両で今年の“もて耐”にエントリーすることになりました。ライダーは滝本さんと僕、そしてサーファー江本陸さんの3人。
これで、1戦クリアだな!と思っていたのですが、そうは甘くありません。実は今日の練習走行中、後輪を駆動するベルトが耐えきれず、ぶっちぎれるというアクシデントが発生。F800Sは、通常のバイクのようなチェーン駆動ではないため、走行前に「どれくらいもつんだろうねぇ?」ってな話をしていた矢先のことでした。ただ、不幸中の幸いにもこれでベルトの耐用時間がわかったため、レースでは決勝前に交換すれば問題はなさそう。ホッ…。

体の方はまだまだついていかず、タイムアタックには程遠い状態でしたが、これまで滝本さんが試行錯誤の末に足回りのセットアップを煮詰めてくれていたので、かなり乗りやすい車体に仕上がりつつあります。今から予選が楽しみなのです。

2007年6月24日

お次は心の準備

久しぶりのサーキット走行で体の馴らしを始めた次にやること、それは心の準備です。
で、その手始めに選んだのは読書。泉優二著"マン島に死す”と大藪春彦著"汚れた英雄”の一気読みです。……いや、大真面目なんですけど。

“マン島に死す”は、先日マン島に行った際、松下ヨシナリが持ってきていたので(なんで?)、久しぶりに借りて読んでみました。マウンテンコースを実際に走った後で読むと臨場感がまるで違って、あらためて著者の丹念な取材振りがよくわかる秀作と言えるでしょう。泉氏はマン島に一ヶ月半滞在してからこの作品を書き上げたそうで、それゆえコースの描写、レースに熱狂するばかりではない島の日常、この特別なレースに向き合うライダーとその家族の想いなどなど、想像力だけでは書き得ないものばかり。驚くべきことは、20年以上前の作品にも関わらず、コースとそれを取り囲む山や街、建物が今となんら変わることなく、ぴったりと一致するので、マン島に一度でも来たことがある人ならば、完全に主人公たる沢木亮の目線で物語の中へ入り込んでいくことができまるはずです。
気をつけないと、トニュー・ブリューのガレージが本当にパーラメント・スクウェアのそばにあり、そこではアメリカンより薄いコーヒーが出される気がしてくるほどに。

帰国後、手元に置いておきたくなったのでアマゾンで中古本を探して、即買い。そのついでに、“汚れた英雄”も全四巻一気買い。それぞれ、初めて手にしたのは中学生の頃で、大人振りたい年頃なので訳しり顔で読んでいたのでしょうが、こうしてあらためてじっくり読み返してみると当時はそのおもしろさ、リアルさ、男のダンディズムさの100分の1も理解していなかったことがよくわかります。“汚れた英雄”も“マン島に死す”の沢木亮同様に主人公北野晶夫に入り込んでいってしまうと、英字新聞で包んだビーフサンドを食べたくなったり、酸っぱい青リンゴで喉の渇きを鎮めたりしたくなったりしまうのでご注意を。
とはいえ、お金と美貌を兼ね備えた女を次々と食いものにしていくだけの北野晶夫並の姿形とテクニックを持ち合わせていないことには、割とすぐに気がつきますが……。

いずれにしても、レース経験者なら心を奮い立たせるなにかがあるのは間違いなし。マン島に行ったことがある人、これから行こうと思っている人ももちろんご一読を。

2007年6月27日

体の準備 その2

メガネをして走っているライダーの方、多いと思います。
かくいう僕もその一人。視力は両目ともに0.03らしいです。なので、メガネをかけない視界はこーんな感じ。新聞だって読めません。

DSC_44.jpg

とはいえ、メガネをかけると1.5まで急上昇するので日々の生活もバイクに乗るときも、さほど困ることはなく、サーキット走行もメガネでこなしていました。
ところが、ですね。昨年、マン島のコースをバイクで走ってみた時に思い知らされました。まったく、メガネが役に立たないのです。なぜなら、路面のギャップが激しすぎて、ヘルメットの中でメガネがそれ以上に激しく上下動して視界ゼロ。とてもじゃないけれど、飛ばす気になれません。サーキットはもちろん、いかに日本の一般道が整備されているか、よくわかる体験でした。
トップクラスなら1ラップのアベレージが200km/hを超える(!)レーシングスピードに達するマン島TTレースとなれば、なおさらまともに走ることはできないのは明らかなので、帰国してから視力確保はずっと懸案事項だったのです。

で、今年。マン島へ行く前に思い切ってしたのが視力矯正手術です。施術は、“品川近視クリニック”。手術時間は20分程度で痛みもなく、日帰りOKなのですが、これまでは一日中絶え間なくパソコンに向かっているような仕事だったので、なんとなく手術後すぐの生活に支障がでるような気がして(例えば、手術後しばらくは文字が見えづらいといった症状もあるので)、ためらっていました。最近は、もっぱら主夫なので(?)、パソコンを使ったり、不規則な生活をすることもなくなったため手術に踏み切ったというわけです。(ホントはレーザーとはいえ、目にメスをいれるのが怖かったというのもあります)

結果はといえば、手術直後からこーんな感じ!

DSC_45.jpg

スバラシイです!クッキリです!「デビルアーイ!」とか叫びそうになることしばしばです!もしかしたら、透視とかもできるようになるかもしれません!
直後は、時折ボヤけたり、夜は見えづらいこともありましたが手術後一ヶ月半が経過した今はほぼ安定していて、あと一ヶ月もすればまったく問題なくなるみたい。ちなみに、現在の視力は両目ともに2.0!グッジョーーーブ!!
気になるお値段は、17万円を超えるので決して安くはないですが、メガネやコンタクトをこれから先も買い替えていくことを考えれば高くはないでしょう。心の底から、オススメします。

2007年6月29日

心の準備 その2

さて、これは1954年に出された本田宗一郎のマン島TTレース出場宣言文です。
ある日、モデルクリエイトマキシの板橋さん(いつも僕がツナギに入れているロゴマークをデザインして、染めて、それだけではなく度重なる転倒でボロボロになった革もたちどころの修理してくださっている恩人です。感謝)から「マン島目指すんやったら、これくらい読んで気合入れとかんかい!」と送られてきたので、丁重の拝読させて頂いた次第。

この宣言文が出されたのはホンダが倒産寸前の時のころ。窮鼠猫を噛むというか、起死回生の必殺技にしてもあまりに荒唐無稽な気がしますが、この5年後、本当にマン島にRC142(125ccのレーサー)と4人のライダーを送り込んだのですからその執念たるや驚きです。
当時、すでに2500人に達していた従業員も“社長”のこの夢物語に一丸となって発奮したというのですから、まさにメーカーとニッポンの威信をかけた一大プロジェクトだったと言えるでしょう。
事実、この中の一文に「敗戦国のドイツがあれだけ復興したんやから、俺達にだってできるわい。敗戦はワシら世代の責任なんやから若者にその代償を払わせるわけにはいかん。そやからマン島レースに出て、日本の工業製品のすんばらしさを世界に教えたるねん!」という趣旨の内容があります。

スバラシイですね、ホント。
この参戦を機に、その後、日本のモーターサイクルメーカーが世界を席巻することになったのは言うまでもありません。
このあたりの歴史的事実を踏まえながら“汚れた英雄”を読むとフィクションとノンフィクションが入り混じって、かなり物語に入り込めるので、合わせてお楽しみくださいませ。